suisuisuizoo

プラバンアクセサリーづくりと、日常の様子をせっせと。

主観極まる。

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分からないということに、とても魅力を感じる。

少し前は、分からないことを排除する作業、つまり客観性を高めることは、

わたしの生きてゆく社会における正義だと思っていた。

分からないことに直面した時に、眺めてただ時間が過ぎてゆくこと、

時間の経過に伴って、なにかしらの感情を抱くことの意味に、

すっぽりと納得してしまっている。

分からなさは、主観の極み、どこまでも個人的なものであることを証明する事実のひとつである気がする。

主観の極みは、ただ自分が完全に営んだということだけで完結している。

 

息抜きに、ふと思いついてコムデギャルソンの服などを眺めたり、

デザイナーのインタビューを読んだりしていて、

「分かりやすさは喜ばしくない」といった主旨のことが述べられていて、

忘れられない。

 

どの服も素敵なのだけど、惹かれる理由が分からない。

黒い生地が織り成すドレープの影のさらなる黒に吸い込まれるからなのか、

衣服の緻密さなのか、衣服が表現の手段として存在してることにあるからなのか、

よく分からないけど、見ててなぜだか楽しいって正義だ。